Michael Jacksonが自らの手で描いた
世界にたった一点だけのアイデアスケッチ

1992年12月
「人類」と「地球のあり方」と
「子どもたちの未来」のために、
MJは一人の日本人アーティストに
8つのメッセージ
〜Michael Code〜
を託した

あなたは知っているだろうか?

そのマイケルが描きたかった世界を現代に再現する。
それが
史上最も成功したアーティスト、エンターテイナーとして「キング・オブ・ポップ」と呼ばれたMJ。
そのMJが生前、
音楽界以外に捧げてきた慈善活動の功績の数々を..
彼は「世界の貧しい子供たちを解放するアミューズメント施設」を想像していた。
MJWWT
〜Michael Jackson Wonder World Toys〜

1992年12月22日

東京のあるホテルにて

「僕は君と会うまでの半年間。MJWWTという世界の貧しい子供たちを解放するアミューズメント施設を考えて来た。この頭にあるその空間を10日間で描きあげて欲しいんだ。」MJは日本人アーティスト、KENJI KOGAに託しました。
そのコンセプト画の名前は、
「Michael Jackson Wonder World Toys」
MJはKENJI KOGAと約10日間、自分のコンセプトを熱く語りながら自らの手で1枚のスケッチを描いたのです。
まるで少年が言葉では語りつくせない思いを絵で説明するかのように楽しげに。それも各部分に詳細な説明をしながら⋯。
MJの死後、彼が描いた画から、彼が真に祈り、世界中に伝えたかったメッセージが浮かび上がってきました。いかにMJが人類と地球を愛していたか。
そして誰もが平和で幸福に暮らせるための環境の改善を祈って

1年中光を絶やさないクリスマスツリーを書いて欲しい

もみの木は天上にまっすぐにそびえ立ち、冬でも枯れない常緑樹として、古代から神が宿る木、永遠の命のシンボルとして崇められてきた。
MJはもみの木を地球の永遠のシンボルに見立てた。
一年中光を絶やさないでとのMJの想いは、世界中の人々に環境破壊をやめて木々に星を飾ろうという提案ではなかったか。
神が宿る神聖なモミの木が一年中光を絶やさずにいることは、木々に光を燈す人々の祈りの象徴と大自然の恵みを受けて育まれる豊かな大地の姿そのものです。

クリスマスツリーの下には噴水が必ず必要だ

水は命の根源。地球上のすべての命の根源である。
MJにとって、噴水は命の根源である水の豊かさの象徴であり、文明のバロメーター。
古代から噴水のある場所はそのまま、世界中の人々の豊かさの象徴である。
天災・人災によって荒らされた現代の世界では、地球の恵みともいえる清らかな水を手に入れることすら難しく、金銭で売買されている。
MJがWWTに大きな噴水を設置することを強調したのは、本来の地球と人間のあり方。
豊かな大地と潤沢な水源は地球生命の幸福の条件を伝えている。

満天の星空には満月を描いて欲しい

MJは満月に何を託そうとしたのか?
月は日々姿を変えるが、その満ち欠けの30日のサイクルを永遠に繰り返す。
その意味で月は古来より不老不死、永遠の命の象徴だった。
月がもたらす潮の満ち引きは人の生死を司る。
毎月訪れる約束された満月はもっとも満ち足りた時を意味する。
満月が生命エネルギーを活性化させる源だとMJは知っていた。
満月はMJがすべての人々の心身の健全であることへの祈りだった。

ここのスケートリンクでは世界中の子供たちが滑る

先頭を滑走する子供たちはまず黒人の子供たち。
そしてアジアの子供たちを描いて欲しい。と注意深く繰り返していたMJ。
それは人種差別意識のむなしさや愚かさ、そしてそのための起こる悲劇を知るMJからの警告。
氷上ではスケート靴が必要。それは誰もが一つの条件のもとで平等である証。
国境も人種もすべての差別を超えて。

とにかく光の世界にしたい。無数の光で包まれた世界に

MJがとにかく光にこだわった理由は?
それは闇(環境破壊・地球上のすべてのマイナス要素)に対する反発。
光は善。光は地球上の生物の誕生・育成のために必要不可欠な条件。
大地・水・光がそろって初めて人間は命を産み、維持できる。
幼いころからショービジネスの世界に身を置いていたMJにとって、スポットライトではなく、愛に裏打ちされた光こそが人を神に近づけることを知っていた。
WWTを無数の光で包むことで、人間本来の純粋な魂を育み守りたかった。

夜空に無数の花火が打ち上げられるんだ

闇(地球上のすべての悪)に打ち上げられる無数の花火は闇を拒否するシンボル。
例えば戦争・紛争に対する警鐘。環境破壊を止める合図。
人々の絶望を救う希望。あらゆる不幸に哭いた人々や過去に犯した人類の過ちへの鎮魂。
銃器に変わる花火の美しさとマイナスを跳ね飛ばす爆音。
ここMJWWTには、人々を恐怖に落とし込む無作為で無法な世界は存在しない。
優しい夜空に美しく咲く光の芸術は人の心に忍び寄る闇を退治する。

毎日繰り広げられるアトラクションの メインはオモチャの兵隊のパレードだ

世界のおびただしい紛争・市民戦争。それから生まれる多くの難民。
MJは生涯をかけて難民、避難民、貧困に苦しむ人々に手を差し伸べてきた。
国際紛争および難民問題についての怒りと悲しみにあふれていたMJの厳しい口調と眼差しは今も鮮明に蘇ってくる。
MJが「まずオモチャの兵隊達が先頭にパレードが始まる。それは毎日繰り広げられる。」その真の意味は戦場でおびただしいヒトが死ぬ。
そして環境汚染で多くのヒトが苦しむことへの心象的なシンボルとしてオモチャの兵隊のパレードを要求していた。

ここには一年中クリスマスが存在する

クリスマスは世界が平和を感じる唯一共通の日である。
宗教によって各国の正月は異なるが、クリスマスは共通言語であり、12月25日をその日として認知し、クリスマスソングは宗教とは関係なく世界の人々に愛され平和な時間を共有する。
ここMJWWTは毎日がクリスマス。
つまり世界中が平和で、家族や親しい人々とともに愛と祈りに満ち溢れた日が毎日でありますように。
MJはクリスマスデイのように世界中が争いを休戦し、環境破壊が止まり、家族や親しい人々に囲まれ、あるいは神に祈る静かで愛に満ち溢れる日が毎日続き、世界中で平和を共有できることを望んでいた。

最後に

1992年12月25日一人の日本人アーティストとMJが出会い、その日から10日間、まるで神からのクリスマスプレゼントのごとく奇跡的な、そして濃厚な二人きりの時間が与えられた。音楽を愛する者同士打ち解けるのに時間はかからなかった。「僕は君と会うまでの半年間。MJWWTという世界の貧しい子供たちを解放するアミューズメント施設を考えて来た。この頭にあるその空間を10日間で描きあげて欲しいんだ。」と言って、MJWWTという空間を理解するまで、毎夜朝方までMJは話し続けました。そしてクリスマスイブの夜、僕はMJに「自身でそのコンセプトを絵に描いてくれなければわからない」と、まるで古くからの親友にいうようにぶっきらぼうに答えた。描きながらMJは各部分に対して詳細な説明を繰り返した。そして一週間後、数枚のスケッチが描き上がり、MJに渡した。MJWWTの真の意味は未だに不明。しかし、今は亡きMJとの奇跡の10日間を思い出すと、Wonder World Toysをオモチャに見立てた地球として考えたのではないだろうか。環境破壊で苦しむ地球とヒト。多くの紛争で苦しむ地球とヒト。その一番の被害者は子供たち。その子供たちのことを考えたオモチャの存在。MJはこのアミューズメント空間を通して、彼の望む「地球」を壮大なスケールで表現したかったような気がする。
MJの超人的な感受性とクリエイティブ力。それは音楽並びに映像の世界におびただしい名作を残している。その中の一つ、This is itの最後のシーンでMJが数分間のメッセージを残している。それは地球に対する畏怖と敬愛の念。そして「あと5年という時間しか残されていない」と意味不明の言葉で締めくくられている。それは何を意味するか?MJは人類と地球のあり方とその未来をMJWWTを通して世界に伝えたかったのではないだろうか?彼が最も言いたかったのは、われわれ人類が住む最も美しい地球を、もっと愛して、世界紛争や環境破壊をやめて。そして地球に住む人類同士で差別や争いはなくして。子供は未来を担う地球の宝物なのだから。MJはそんな思いをMJWWTに秘めて、世界の紛争や環境破壊をなくすために全身全霊でアーティスト活動を通じてメッセージを送り続けていた。

KENJI KOGA

1974年 N.Y.渡米。アーティスト活動開始。
代表作ともいえる切手のコラージュ「平和の象徴」が、ニューヨーク国連本部のパーマネント・コレクションに日本人として初めて選出。
1993:ニューヨーク国連本部にて原画2点、シルクスクリーン6点の永久保存セレモニー開催。
1993年5月 ニューヨーク国連本部にて贈呈式が行われる。また、'94年国連で開催された“自然災害軽減世界会議”の記念切手案が国連切手デザイン委員会の決定を経て、'94年に選出される。
1994:国連記念切手「国際防災の10年」の世界コンペ提出、ニューヨーク国連本部デザイン査問委員会の決定を経て選出される。
KENJI KOGAのオリジナル絵画3点およびデザインを手掛けたその作品は、1995年、ニューヨーク、ジュネーブ、ウィーンのそれぞれの国連郵便管理局より国連記念切手として発行された。

1992年12月22日〜12月31日、共に時間を過ごしたMJとKENJ。
1993年1月1日午前3時ころの撮影。前夜12月31日は「カウントダウン」の最終ライブが東京ドームが開催された。
この日、大晦日はイラストを仕上げMJに手渡す日だった。会場では大勢のファンがカウントダウンの大合唱だったが、新年を迎える数十分前に会場を後にした。
お決まりのパジャマスタイルに着替えたMJに仕上がったイラストを手渡すと、眼には涙がにじんでいた。それから、3時間後成田空港へと帰国の途についた。
※MJの膝の上にはKENJI作品1がのっている。

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